となりのトトロ都市伝説・七国山病院の嘘本当と1953年の結核治療について [ジブリ作品]
この記事は7分で読めます。
トトロでお母さんが入院していた七国山病院のモデルとは?
お母さんはエンドロール以降死んでいるというのは本当?
お母さんの病気と噂の結核病は当時治療可能だったって本当?
昨日11日。
今年も金曜ロードショーで「となりのトトロ」が放送されましたね。
そんなとなりのトトロについて管理人が友達と話したとき、
結構都市伝説系の話題が多くとびだしてきてびっくりしたことを思い出しました。
今更ながらに本当なのでしょうか。と思い調べてみました。
有名作品に都市伝説はよくある話ですが・・・。
今回調べたとなりのトトロの都市伝説はこんな内容。
ちなみに他にもいくつかあるようです。
(さつきとメイが死んでいるとか。公式否定されましたが。)
有名作品は話に事欠かないのであれですが、
基本的にはそんなこともないというのが通説ですね。
とはいえ、結核の隔離病院がモデルの説に関しては
サツキとメイ死亡説と違いジブリも否定していないようなので
母親が結核というのは間違っていないのかもしれません。
ここから先はその前提の元考えていきたいと思います。
都市伝説を調べるにはまず時代背景を抑えたいところ。
となりのトトロの時代背景は明言されており、
1953年(昭和28年)だと言われています。
映画「コクリコ坂から」のパンフレット(企画のための覚書「コクリコ坂から」について「港の見える丘」より)
但し、当初は昭和30年代をテーマにしており、
特定の時代をモチーフにはしていないとも発言していました。
実はこの時期は未だ結核病が大流行している時期であり、
また、結核の化学療法が確立した時代でもあります。
作中に登場する「七国山病院」にはモデルがあるとされています。
ジブリ・宮崎駿監督は敢えて何も言っていませんでしたが、
おそらくモデルは八国山緑地の病院なのではないかと言われています。
都立八国山緑地は当時、
結核治療の隔離病棟があることで非常に有名な場所でした。
その八国山緑地にあった病院が現在の新山手病院と
さらには都立白十字病院の2つであり、現在も病院として機能しています。
これらの病院は1938年に設立された財団法人結核予防会によって作られました。
設立当時は化学療法というものが確立されてなかったため、
基本的には隔離の上で静養・療養という形を取るのが主だったそうです。
しかし、となりのトトロの舞台となった1953年頃では
結核治療も少し様子が変わってきます。
結核といえば戦前戦後は不治の病。
ジブリに限らず、漫画「はいからさんが通る」オペラ「椿姫」など
戦前を舞台にする広く多くの作品で結核は不治の病として扱われ、
結核患者のキャラクターは大概治療の見込みはないと悲観的です。
実際に日本では結核菌が好みやすい気候から
明治時代の政策による人口過密が原因で爆発的に発生。
国の重要課題であったにも関わらず明確な治療法はありませんでした。
同じく宮崎駿原作の「風立ちぬ」でも
ヒロインの奈穂子が結核を患い高原で治療をするシーンがあります。
(こちらは公式で結核であることが明かされている。対象年齢層の違いだろう)
このように綺麗な空気の場所で療養することが治療でした。
あるいは病気に犯されている方の肺を圧縮あるいは切除するという
効果があるのかわからない手法も取られてきました。
しかし、戦争終結に近づいた1944年のこと。
医学的にも結核治療はようやく回復の兆しが見えてきています。
世界初の結核治療が可能な抗生物質スプレトマイシンが
米国の研究者セルマン・ワクスマンによって発見されました。
さらに日本では同じく結核治療可能なパラアミノサリチル酸が1951年に保険適用対象に。
以降1950年にはイソニアジドの抗結核の作用が発見され、
1952年にはピラジナミドが発見されます。
1952年には世界中でイソアニジドが販売され始めているようで
スプレトマイシン・パラアミノサリチル酸・イソアニジドの3剤併用療法が
誕生することで、昭和30年代以降結核死亡率は著しい減少を見せることになります。
となりのトトロの時期は昭和30年あたりであり
その3剤併用療法が誕生した時期にあたるのではないかと考えられます。
実際に文献にも昭和30年から化学療法がスタートしたと言われています。
『現代日本病人史 病人処置の変遷-』(昭和57年 ㈱勁草書房)
つまり、となりのトトロの舞台となった時代は
宮崎監督がわざとそう設定したのか、
結核が不治の病ではなくなりつつある時代になってきていた訳です。
まして昭和30年代ならば本格的に化学療法も始まっています。
そう考えると、サツキとメイを含め、
家族がそれほど悲観していない(しかしどこか不安を覚えている)ことも
なんとなくうなずけますし、治療の後、一時的にお母さんがエンディングで帰ってくることもべつにおかしな話ではありません。
(風立ちぬでもヒロインが病院から抜け出して堀越二郎と生活しているが作中の堀越は感染しなかった)
と、いうことで今回テーマにした都市伝説は否定できたと思います。
結果として都市伝説そのものは否定されましたが
結核はいつごろ治療が確立されたのかということは
興味深い事実だったと思います。
となりのトトロ自体は子供向けアニメの体であり、
子供の時は何も考えずに見ることもできます。
しかし、大人になってみて改めて見てみると、
電報を知らされたサツキとメイがどうしてあそこまで必死だったのか。
など不思議な点も多くなると思います。
そういった疑問を解消するための
その背景理解の一助となれば幸いです。
トトロでお母さんが入院していた七国山病院のモデルとは?
お母さんはエンドロール以降死んでいるというのは本当?
お母さんの病気と噂の結核病は当時治療可能だったって本当?
昨日11日。
今年も金曜ロードショーで「となりのトトロ」が放送されましたね。
そんなとなりのトトロについて管理人が友達と話したとき、
結構都市伝説系の話題が多くとびだしてきてびっくりしたことを思い出しました。
今更ながらに本当なのでしょうか。と思い調べてみました。
有名作品に都市伝説はよくある話ですが・・・。
となりのトトロの都市伝説概要
今回調べたとなりのトトロの都市伝説はこんな内容。
七国山病院の正体は現在でも八国山にある新山手病院。結核は当時不治の病(実際にはこれは間違っている。後述)。エンディングでお母さんとお風呂に入るのはおかしい。つまりエンディングは過去の回想。
ちなみに他にもいくつかあるようです。
(さつきとメイが死んでいるとか。公式否定されましたが。)
有名作品は話に事欠かないのであれですが、
基本的にはそんなこともないというのが通説ですね。
とはいえ、結核の隔離病院がモデルの説に関しては
サツキとメイ死亡説と違いジブリも否定していないようなので
母親が結核というのは間違っていないのかもしれません。
ここから先はその前提の元考えていきたいと思います。
スポンサーリンク
となりのトトロの時代背景
都市伝説を調べるにはまず時代背景を抑えたいところ。
となりのトトロの時代背景は明言されており、
1953年(昭和28年)だと言われています。
映画「コクリコ坂から」のパンフレット(企画のための覚書「コクリコ坂から」について「港の見える丘」より)
但し、当初は昭和30年代をテーマにしており、
特定の時代をモチーフにはしていないとも発言していました。
実はこの時期は未だ結核病が大流行している時期であり、
また、結核の化学療法が確立した時代でもあります。
七国山病院と結核
作中に登場する「七国山病院」にはモデルがあるとされています。
ジブリ・宮崎駿監督は敢えて何も言っていませんでしたが、
おそらくモデルは八国山緑地の病院なのではないかと言われています。
新山手病院と都立白十字病院があることがわかる。
都立八国山緑地は当時、
結核治療の隔離病棟があることで非常に有名な場所でした。
その八国山緑地にあった病院が現在の新山手病院と
さらには都立白十字病院の2つであり、現在も病院として機能しています。
これらの病院は1938年に設立された財団法人結核予防会によって作られました。
設立当時は化学療法というものが確立されてなかったため、
基本的には隔離の上で静養・療養という形を取るのが主だったそうです。
しかし、となりのトトロの舞台となった1953年頃では
結核治療も少し様子が変わってきます。
1953年ごろの結核治療
結核といえば戦前戦後は不治の病。
ジブリに限らず、漫画「はいからさんが通る」オペラ「椿姫」など
戦前を舞台にする広く多くの作品で結核は不治の病として扱われ、
結核患者のキャラクターは大概治療の見込みはないと悲観的です。
引用元:財団法人結核予防会
実際に日本では結核菌が好みやすい気候から
明治時代の政策による人口過密が原因で爆発的に発生。
国の重要課題であったにも関わらず明確な治療法はありませんでした。
同じく宮崎駿原作の「風立ちぬ」でも
ヒロインの奈穂子が結核を患い高原で治療をするシーンがあります。
(こちらは公式で結核であることが明かされている。対象年齢層の違いだろう)
このように綺麗な空気の場所で療養することが治療でした。
あるいは病気に犯されている方の肺を圧縮あるいは切除するという
効果があるのかわからない手法も取られてきました。
しかし、戦争終結に近づいた1944年のこと。
医学的にも結核治療はようやく回復の兆しが見えてきています。
世界初の結核治療が可能な抗生物質スプレトマイシンが
米国の研究者セルマン・ワクスマンによって発見されました。
さらに日本では同じく結核治療可能なパラアミノサリチル酸が1951年に保険適用対象に。
以降1950年にはイソニアジドの抗結核の作用が発見され、
1952年にはピラジナミドが発見されます。
1952年には世界中でイソアニジドが販売され始めているようで
スプレトマイシン・パラアミノサリチル酸・イソアニジドの3剤併用療法が
誕生することで、昭和30年代以降結核死亡率は著しい減少を見せることになります。
となりのトトロの時期は昭和30年あたりであり
その3剤併用療法が誕生した時期にあたるのではないかと考えられます。
実際に文献にも昭和30年から化学療法がスタートしたと言われています。
『現代日本病人史 病人処置の変遷-』(昭和57年 ㈱勁草書房)
つまり、となりのトトロの舞台となった時代は
宮崎監督がわざとそう設定したのか、
結核が不治の病ではなくなりつつある時代になってきていた訳です。
まして昭和30年代ならば本格的に化学療法も始まっています。
そう考えると、サツキとメイを含め、
家族がそれほど悲観していない(しかしどこか不安を覚えている)ことも
なんとなくうなずけますし、治療の後、一時的にお母さんがエンディングで帰ってくることもべつにおかしな話ではありません。
(風立ちぬでもヒロインが病院から抜け出して堀越二郎と生活しているが作中の堀越は感染しなかった)
まとめ
と、いうことで今回テーマにした都市伝説は否定できたと思います。
結果として都市伝説そのものは否定されましたが
結核はいつごろ治療が確立されたのかということは
興味深い事実だったと思います。
となりのトトロ自体は子供向けアニメの体であり、
子供の時は何も考えずに見ることもできます。
しかし、大人になってみて改めて見てみると、
電報を知らされたサツキとメイがどうしてあそこまで必死だったのか。
など不思議な点も多くなると思います。
そういった疑問を解消するための
その背景理解の一助となれば幸いです。
スポンサーリンク