故・桂宮宜仁親王はなぜ右目をつむっていたのか? [皇族・皇室]
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桂宮宜仁親王殿下が右目をつむっていた理由とは
殿下の死因は?今後の葬儀の日程は?
先日8日に薨去された桂宮宜仁親王。
ニュースなどでの報道で放送された宜仁親王殿下のお写真で
殿下が右目を瞑られていたことが
印象に残った方も多いのではないでしょうか?
あの理由に関しては気になった方も多いはず。
そこで、今回は宜仁親王殿下について調べてみました。
続柄 三笠宮崇仁親王第二男子(大正天皇孫)
身位 親王
敬称 殿下(His Imperial Highness)
お印 桂
出生 1948年2月11日
桂宮宜仁親王は大正天皇のお孫さんとして誕生された方。
戦後初独身の身で宮家を作られています。
普通は婚姻を契機に宮家を立てられるので珍しいケースです。
お仕事としては主に各協会の総裁を務められました。
大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会、日豪協会など
最終的に婚姻はなく、お子さんも当然いらっしゃらないまま
2014年6月8日に薨去なされました。66歳没。
そんな桂宮殿下。
ニュースでお写真などを見ると目をつむってらっしゃるのがわかります。
かなり違和感があったので何故かと思った人も多いのではないでしょうか。
その理由としては急性網膜下血腫だと言われています。
1988年5月26日のことだったようです。
以降、右目の視力喪失、記憶障害、右半身不随などの
多くの障害に見舞われながらもご公務を続けられていたそうです。
右目を瞑られていたのは右半身が動かなかったからのようですね。
そうだとしたら、それでご公務を続けられていたのは
さすが皇族であるといったところなのでしょうか。
ちなみに、正式な病名に関しては実際には分かっていないようです。
というのも、宮内庁の広報からは「未公表」とされているため。
事件後マスコミの取材や有識者の意見によって
同病気であったのではないかという報道だったようです。
しかし、死因は別のご病気だったそうです。
直接の原因は急性心不全だということですが、
体調を崩されたのは2008年から闘病されている
敗血症のためだと言われています。
その後、宮邸で療養を勤めながらも、悪化していき
2011年末には気管に唾液が入って発症する誤嚥性肺炎のため、
喉頭をふさぐ声門閉鎖手術を受け、話せなくなります。
2014年には東大病院に入退院をするも、
最終的には急性心不全となり薨去されることとなりました。
そんな桂宮殿下の葬儀日程は次のようになっているようです。
喪主は父・三笠宮殿下が務める予定になっているようです。
しかし、高齢のため、桂宮さまの姪にあたる三笠宮家の彬子殿下が
代行する場合もあると発表されています。
葬儀日程は次のようになっています。
9日 : 御舟入(ご遺体をひつぎに納める)
15日 : 正寝移柩の儀(ひつぎを正寝〈表御殿〉に移す)
15~17日早朝 : 御通夜
16日 : 霊代安置の儀(葬場に向かう前に仮の御間に安置する)
17日 : 斂葬の儀(本葬。ご遺体を火葬し、埋葬する)
桂宮殿下は幼少期、ご学友に言われた言葉をきっかけに
皇族としての重みに耐えられなかった人物だと言われています。
そのため、様々な苦悩を抱えながら
ご公務をこなしていたと言われているのですが、
そういった苦しみの結果が病気という形で現れたのでしょうか。
薨去された桂宮殿下。
向こうでは心穏やかに過ごされることを祈りたいものです。
桂宮宜仁親王殿下が右目をつむっていた理由とは
殿下の死因は?今後の葬儀の日程は?
先日8日に薨去された桂宮宜仁親王。
ニュースなどでの報道で放送された宜仁親王殿下のお写真で
殿下が右目を瞑られていたことが
印象に残った方も多いのではないでしょうか?
あの理由に関しては気になった方も多いはず。
そこで、今回は宜仁親王殿下について調べてみました。
桂宮宜仁親王殿下とはどういった人だったのか
続柄 三笠宮崇仁親王第二男子(大正天皇孫)
身位 親王
敬称 殿下(His Imperial Highness)
お印 桂
出生 1948年2月11日
桂宮宜仁親王は大正天皇のお孫さんとして誕生された方。
戦後初独身の身で宮家を作られています。
普通は婚姻を契機に宮家を立てられるので珍しいケースです。
お仕事としては主に各協会の総裁を務められました。
大日本農会、大日本山林会、日本工芸会、日本漆工協会、日豪協会など
最終的に婚姻はなく、お子さんも当然いらっしゃらないまま
2014年6月8日に薨去なされました。66歳没。
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桂宮宜仁親王殿下が目を瞑っていらっしゃった理由
そんな桂宮殿下。
ニュースでお写真などを見ると目をつむってらっしゃるのがわかります。
かなり違和感があったので何故かと思った人も多いのではないでしょうか。
その理由としては急性網膜下血腫だと言われています。
1988年5月26日のことだったようです。
以降、右目の視力喪失、記憶障害、右半身不随などの
多くの障害に見舞われながらもご公務を続けられていたそうです。
右目を瞑られていたのは右半身が動かなかったからのようですね。
そうだとしたら、それでご公務を続けられていたのは
さすが皇族であるといったところなのでしょうか。
ちなみに、正式な病名に関しては実際には分かっていないようです。
というのも、宮内庁の広報からは「未公表」とされているため。
事件後マスコミの取材や有識者の意見によって
同病気であったのではないかという報道だったようです。
死因はなんだったのか
しかし、死因は別のご病気だったそうです。
直接の原因は急性心不全だということですが、
体調を崩されたのは2008年から闘病されている
敗血症のためだと言われています。
敗血症とは?
敗血症とは、肺炎や腎盂腎炎じんうじんえんなど生体のある部分で感染症を起こしている場所から血液中に病原体が入り込み、重篤な全身症状を引き起こす症候群のこと。
敗血症は近年の抗菌薬の進歩によって治療成績が改善しているが、治療が遅れたり合併症の程度によっては、致命的となる重篤な疾患であることに変わりない。
そのため早期の診断と適切な抗菌薬の使用、各種合併症に対する支持療法が重要とされている。
その後、宮邸で療養を勤めながらも、悪化していき
2011年末には気管に唾液が入って発症する誤嚥性肺炎のため、
喉頭をふさぐ声門閉鎖手術を受け、話せなくなります。
2014年には東大病院に入退院をするも、
最終的には急性心不全となり薨去されることとなりました。
葬儀日程はどうなっているのか
そんな桂宮殿下の葬儀日程は次のようになっているようです。
喪主は父・三笠宮殿下が務める予定になっているようです。
しかし、高齢のため、桂宮さまの姪にあたる三笠宮家の彬子殿下が
代行する場合もあると発表されています。
葬儀日程は次のようになっています。
9日 : 御舟入(ご遺体をひつぎに納める)
15日 : 正寝移柩の儀(ひつぎを正寝〈表御殿〉に移す)
15~17日早朝 : 御通夜
16日 : 霊代安置の儀(葬場に向かう前に仮の御間に安置する)
17日 : 斂葬の儀(本葬。ご遺体を火葬し、埋葬する)
桂宮殿下は幼少期、ご学友に言われた言葉をきっかけに
皇族としての重みに耐えられなかった人物だと言われています。
そのため、様々な苦悩を抱えながら
ご公務をこなしていたと言われているのですが、
そういった苦しみの結果が病気という形で現れたのでしょうか。
薨去された桂宮殿下。
向こうでは心穏やかに過ごされることを祈りたいものです。
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